中古車買い取り業界の革命児ともなったガリバーの羽鳥兼市さんの愛車遍歴は次の通りです。
【ルノー4CV】
ボディカラーは赤。当時は16歳で免許が取れたので、地元の須賀川高校入学後に購入した一台。といっても、自動車会社から購入したのではなく、近所の農家のご主人から売ってもらったそうです。通学路沿いの農家に停めてあった真っ赤なこの車を毎日見ており、欲しくて欲しくてたまらずに直接交渉して売ってもらったとか。その農家のご主人の車ではなくて東京に行っている息子さんが所有していたので最初は断られていたものの、あきらめきれなくて足繁く20回以上通い、ついに3万円で譲ってもらうことに成功。その後、板金塗装でピカピカにしたら27万円で売れてしまったとのこと。既に才覚が…。
【トヨタ・クラウン】
ルノーを売ったお金を元手に猪苗代湖で貸しボート屋を始め、見事成功して購入した一台。高校生ながらモーターボートを三艇も購入するほどだったとか。やはり才覚が…。
【シボレー・インパラ】
東京への進学をあきらめる代わりにということでお父さんに買ってもらった一台。中古で170万円。羽鳥さんは1940年生まれですから、1958年当時で170万円。手元の日本車検索大図鑑によると、1960年10月に追加されたクラウン1900デラックスでも新車価格は119万5千円です。どことなく当時の日本におけるアメ車の立ち位置が感じられます。ちなみにこのインパラはというと、東京のエンパイヤ自動車で丁稚奉公をしているときに同僚に一日7,000円で貸し出していたとか。当時の月給が同じく7,000円だったそうなので、またしてもビジネスの鋭い嗅覚が垣間見えます。
【いすゞ・ベレット1600GT】
20歳のときに父親に新車で購入してもらった一台。しかし、納車されたその日の夜に自ら屋根を切ってオープン仕様にしたそうです。「カタログの写真をはさみで切ってみたら格好良かったからやってみた」ということですが、その行動力には脱帽しかできません…。
【ダットサン・初代フェアレディ】
羽鳥総業時代にレースに参戦していた一台。ボディの鉄板をグラインダーで削り、フレームに穴を開けて自己流の軽量化を施した上に、アルミボディの『羽鳥スペシャル』という一台も持っていたそうです。まさに妥協知らず!
【フェラーリF430スパイダー】
ボディカラーは白。体の一部のように操りやすい一台とのこと。
上記の他、ホンダS500、S600、S800、ダットサン・フェアレディSP/SR、シボレー・カマロ、シボレー・コルベット、ジャガーXJ12など、羽鳥さんがこれまでに所有した車は60台ほど。これだけ車好きで実際にハンドルを握りつつも45年間無事故というのは、それだけで自動車業界の鑑のように感じます。
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